活動再開の理由 〜欠けた衝動〜

こんにちは。みみみと申します。

インスタグラムやTwitter、ブログ「ひなどりとラパン」などで私をご存じの方は、いつもありがとうございます。

自身の音楽活動再開にともない、こちらのサイトでは表現家としての自分を曝け出すべく、拙筆書き殴らせていただくことにしました。

これからアルバム・楽曲制作の様子や表現家として思うことなどをありのままに投稿していきたいと思います。

目次

明るい暗闇

それでは早速、私について少し。ありのまま、語らせてください。

私は五年ほど、ほんのつい最近まで暗闇におりました。

見た目や態度からは想像できなかったように思いますが、確かに暗闇にいたのです。それは明るい陽のもとで、幸せな日常の中で、気づかないうちに精神を蝕んでいくものです。

自分ですら気づかないまま、五年の年月が瞬く間に過ぎていきました。

音楽活動停止の理由

話をさかのぼりますと、私は音楽をしておりました。メロディ・クロックというユニットで作詞・作曲をし、エレキヴァイオリンを演奏。イベンターとしても活動し、さまざまな場所を行ったり来たりしておりました。

その頃は言いようのない寂しさや怒りを音楽というフィルターを通して表現することで精神が保たれている状態だったと記憶しています。

その不安定さから、出会う方々や身近で支えてくれていた方々すべてに迷惑をかけていたことも自覚しています。

と同時に、表現者としてある意味、あるべき姿だったような気もしています。

衝動のままに、作りたいものを作る。

それは生きていた証を形にすることであり、そのために音楽活動がありました。

しかし時が経つにつれ、それはハリボテのようなものへと変わりました。イベンターとして生計を立てていたこともあり、ビジネスとしての動きを重視しなければならなくなっていたからです。

ここで問題だったのが、私がとことんビジネスに向いていない性格だったということでした。

無理をしていくことでだんだんと表現家としての本質を置き去りにしなければならない場面が増え、中途半端な胸のわだかまりが中途半端な結果を生む。

そんな焦りに耐えかねて、私はイベンターを辞めました。表現に集中できると思ったからです。

しかしすべては思った通りにはいきません。今すぐに表現しなければならない、と身悶えしたかつての衝動は、いつの間にか無くなってしまっていました。

自然と活動の回数は減少。ついに私が命をかけて大事な仲間と作ってきたメロディ・クロックは、淡い蜃気楼となって消えたのです。

衝動を表現せざるをえなくて始めた音楽活動は、衝動の消滅とともに終わりを告げました。

生きるためにもがいた五年間

理由はふたつあります。

ひとつは生きることに必死だったこと。そしてひとつは、幸せになったこと。

ビジネスに向いていない私は、なんとか努力はしたもののどうしてもビジネスと表現を上手く橋渡しできるような発想に辿り着けませんでした。その結果、表現自体のクオリティをなおざりにすることとなり、自信のなさから衝動を抑え込むこととなりました。

そして私は、そのイベンター活動の中で出会った愛する女性と結ばれます。似て非なるはぐれ者との恋愛と生活。毎日いつでも出来る、意味のない議論。不器用ながらも、何故かたおやかな人肌。そんな文句のない幸せの中で、かつての衝動は姿を完全に消してしまいました。

結婚して子供が生まれることとなってから今にいたるまでのお話をするうえで、どうしても仕事について触れないわけにはいきません。

この頃、私の脳裏にあったのは「なんとか在宅で生計を立てたい」という一文のみ。如何なる理由においても子供の面倒を妻に押し付ける形で生きていきたくはなかったというこだわりがあり、なおかつそれは社会的な「当たり前」への反抗でもありました。また可能なかぎり妻と一緒にいたいという想いもありました。

そのための準備期間、たとえば創業の資金を貯める時間はあまりありません。子供が生まれるまでは外で必死に働きました。最初は博物館の展示物をつくる工房、引っ越して千葉に帰ってからは食べログのテレアポ。音楽以外のスキルは皆無だった私にとってはほぼ初めての社会でした。

きっと色々な方に笑われていたことでしょう。しかしそんなことを気にする余裕もありませんでした。そんな中で長男が生まれ、予定通り私はネットショップをつくり小さな商売を始めることで、だんだんと外で働く日数を減らすことに成功します。

そして2019年の10月、長男が生まれてから約1年後に私は完全在宅化に成功しました。しかし、その年の12月末ほどから世界は大きな転換を迎えることとなります。新型コロナウイルスの蔓延です。

一見、もともと在宅になっていたのだから安全で良かったじゃないかと思われるかもしれません。しかし、小さな商売にとって新型コロナはとてつもない脅威でした。なんせ、メインの商材がアクセサリーだったのですから。世間が外出を控えるようになったことで、売上は約6分の1にまで減少することとなりました。

ここで愚かだったのが、前年に事業者登録をしていなかったこと。していれば少しは助成のチャンスもあったのかもしれませんが、もはやそれを詳しく調べる気力さえ失われてしまいました。

ただしひとつ大きな追い風として、社会的に在宅ワークという働き方が認知されたことがあります。そのおかげで、私は現在も働いている会社に完全在宅というスタイルのまま業務委託契約をしてもらうこととなりました。

ITの営業、ネットショップの運営ときて、次の仕事はWebマーケター。具体的には上場企業のECサイトの販促戦略をたてたり、さまざまなサイトのSEO記事を編集したりする大役。なんの経験もないまま社会生活をスタートした私にとっては、順調にみえる人生コースです。特にWebマーケティングを学ぶ、という面においては無駄のない軌跡をたどることができました。

またベンチャー企業でのWebマーケターというのはクリエイティブな要素が強く、デザインや文章の作成などは私の好きな分野でもあります。

収入についても、東京で生活していたころの1.5倍ほどまでは上がり、子供もさらにふたり生まれ、客観的に見てもそこそこ「普通」の人生に収まることができそうではありました。

普通。それは私が、子供のころから憧れていた姿でした。

欠けたピース

ここまで、かなり遅いスタートながらもなんとか順調に這い上がってきた人生。その中で支えになっていたのはまず妻という家族の存在。そしてもうひとつは「表現者としてあり続けたい」という想いでした。

自分のアイデンティティを表現者として位置づけ続けることで、社会に感じる違和感を麻痺させていたのです。他人が何を考えていても、自分は違う軸で生きているのだから関係ない。そう思うことで楽に生きることができました。要するに、また言い訳をして誤魔化していたわけです。

もちろん、いつだってなにかをつくっていました。イメージのままにジオラマの花瓶をつくろうとしたり、アクセサリーをつくったり、イラストを描いてみたり。一曲だけヴァイオリンの無伴奏ソナタを書いたこともありました。カメラも本格的に始めました。

しかしどれも自分の思う形にはなりません。何故ならば、表現において最も大切な核、衝動が足りていなかったからです。もちろんつくりたいという思いと勢いはあったのですが、何点かつくり終えるともう興味がなくなってしまうのです。それを可視化するためのフィルターとスキルは最低限あったのかもしれませんが、大切な衝動のピースが欠けてしまっていたことで、以前のように自分から勢いをつくって表現者として生きるエネルギーはなくなっていました。

表現に必要だったもの

暗闇はすぐ近くまで迫っていました。いまの仕事にのめり込み、これまでに比べて充実したビジネスライフを送っていく中で、言いようのない不安が胸の中で渦を巻きはじめたのです。

これまで誤魔化せていた違和感は、真っ黒で重たい緞帳のように全身に被さります。会社の方のささいな発言すらも気になるようになっていきました。出来るだけ多くのお客さんが振り向くようなデザインをつくるべき。多くの人間が読みたくなるような記事を書くべき。頭では理解して、実践もして、結果も出せていたはずなのですが、どうしても吐き気がしてしまうのです。

そしてきっかけは、ほんの小さなことでした。

給料が上がる、という話が私のところにきたのです。

いちおう誰もが驚くような数字を広告運用とSEO記事編集のふたつにおいて出し続けているつもりでした。会社として受けているそれぞれの分野のコンサルタントの先生にも、驚かれていました。

しかし交渉の結果、給料は私の希望額の四分の一ほどのアップで一旦とどまりました。理由としてはふたつ、会社が太いクライアントの仕事をひとつ逃してしまったことで財政に余裕があまりなかったこと。そして私の不得意なディレクターとしての能力を指摘されたこと。

元来、私は多動性ゆえに人と仕事をすることがかなり下手です。だからこそ得意なところを伸ばすべく、ひとりでこなせる広告運用と記事制作で結果を出してきました。しかし会社からは不得意なところも伸ばして、マネージャーとして実力をつけてもらいたいという意向をいただいたのです。最終的には希望額となる予定、という旨の内容を告げられました。

頭では理解していました。会社の事情も、期待も理解していました。しかしこれまでに着々と、気づかない間に暗闇で蝕まれていた心は、これをきっかけに大きな音を立てて崩れ、その割れ目からはたとえようのないほどの怒りがこみあげてきました。

そしてそれと同時に、とてつもなく懐かしい衝動を感じました。その衝動を表現するべく、気づけば私は譜面を書いていました。ここで私はようやく理解することができたのです。

すべては「怒り」だったと。社会、人間、世界、理不尽、自分。それらに対するこの感情こそが、かつて私をエネルギッシュに突き動かした衝動の最も大切なピースでした。

人間の頭と身体と心は、それぞれ違う意思をもっていると私は考えています。

それぞれが違う方向を向いているときもあれば、いずれかふたつが同じ方向を向いていることもある。

しかしその三者が同時に同じ方向を向くことというのはごく稀です。その瞬間というのは記憶がなくなるほどの快感であると同時に、核爆発にも似た莫大なエネルギーを放出します。わかりやすいのは最高のセックスに例えたときなのですが、今回はその説明については割愛します。私はその現象を「三位一体」と呼んでいます。

このとき、表現に関する三位一体が実に七、八年ぶりに再び起こりました。

活動再開へ

いちど譜面を書き始めてしまえば、曲はいくらでも生まれてきます。今回の衝動には理解がともなっていたことで、しばらくはエネルギーが失われることはなさそうです。

これまで「結局は音楽しかないのかもしれない」という気持ちを堪えて、他の表現手段を試していたところも正直ありました。しかし形にして動き出すまでの衝動はなかったので、元をたどればやはりそれが解決しなければこれほどの勢いにはならなかったと思います。

また、妻が私の曲を唄ってくれるということも大変嬉しいことでありました。愛する理解者にボーカルをしてもらえるのであれば、表現として完成させない理由はありません。

こうして、現在は五曲の楽曲をひとつのアルバムにまとめて公開する準備を日々進めています。いまはヴァイオリンパートの収録のためにしばらく練習をするターン。予定では10月中にヴァイオリン、11月中には本唄とピアノを撮り終えて、12月にはミックスして動画を完成。年末にはリリースするつもりです。

かなりクオリティにはこだわり抜くにもかかわらず、公開はすべて無料でおこないます。まずは広く聴いてもらうことが目的だからです。もちろん段階を踏んで収益にはしていきますが、発信する音楽自体は基本的に無料で出来るだけ沢山の方に聴いていただきたいです。

かつて私は32歳が終わる時点でなにも思い残すことのないように人生を完結させること、を目標に公言していました。その年になればたとえ死んだとしてもなにも後悔することのないように。しかしそれが実現できるほど賢い人間でもなければ、「普通」の人間でもなかったようです。気づけば、恥の多い人生を送っておりました。

こうして33歳が目前に迫ったいま、ようやく私は再び動き出すことができました。かつて私の音楽を信じてついてきてくれた友人、ファンの方々、家族。そして「普通」に生きられないすべての人々。そのすべての想いをのせて、この地獄のような現実世界へ再び斬り込んでいけたらと思います。

2022年9月30日 みみみ

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