「2023年9月29日 手記」
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「普通」に生きる。
なんて難しいことなんだろう。
「普通」に仕事をし、
「普通」にお金を稼ぎ、
「普通」に子育てをして、
「普通」に幸せを感じる。
そんな難しいことができる
「普通」の方々を本当に尊敬する。
私も「普通」に生きようと努力してきた。
子供の頃から、
周囲とは趣味も合わない、
感覚も合わない、
同級生には笑われる。
そんな中で「普通」を目指して
演技をして生きてきた。
元来、嘘が得意ではなかったため、
そんな演技は演技たらず。
結局は悪い意味で目立った人間として
認知されてきた。
それでも私は「普通」に憧れた。
そうなる以外に生きる術がわからなかった。
そうやって足掻きながら頑張って、
結局は台無し。
頭の中とやっていることが
噛み合わないことで脳が溶けていき、
頭痛がひどくなる。
そして爆発する。
他人の考えることはこれまでの観察からだいたい理解できている。だけど共感はできない。
正確には、同じ状況では共感ができない。
それでも努力した。
少年誌の内容は勉強したし、テレビも苦手だけど目を通した。なにが面白いのかわからないことにも爆笑した。つもりだ。
お前らの笑っていることの
何が面白いのか、
説明してほしい。
そんな言葉を飲み込んで生きてきた。
笑っているお前らの頭がいま突然パカッと開いて中から数多のアサガオが咲いていくほうがよっぽど面白い。だんだん白目を剥いていくその顔面を眺めて楽しみたい。
大人になると、
少し社会に溶け込むことができるようになった。
しかし、それも時間の問題。
やはり隠し事は苦手なので、
だんだんと人は私を遠ざけたり
疎ましく思うようになる。
私はそれを楽しむようになった。
きっと脳を取り替えるか、
大規模な手術でもしない限り
私は「普通」にはなれない。
ある程度諦めることで少しだけ楽になった。
俯瞰してみるとこの世界は、
他人の分析をできない人間があまりに多い。
私の脳の中身を分からずに接してくる人を見ると
色々と実験をしたくなる。
どれほど鈍感なのか、見てみたい。
そして彼らの頭の残骸からアサガオが咲き誇る。
そんな様子を想像しては
たまに笑いが止まらなくなる。
それでもまだ私は「普通」を演じ続けている。
生きるために。
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